必要とされる存在になるには

次年度新卒採用活動もふたつめの局面を迎えています。企業も学生もそして学校もリズムをつかみあぐねているのではないでしょうか。結局はだれのためにもなっていないような今期スタートの”12月開始”元年。

 

外的な要因はともかくとして、面接などの頻度も上がってきた時期なのでその点に関してひとつ思うことを書きます。就職何と言われて久しい昨今です。メディアでもいろいろな視点からこのことを論じています。先日街角インタビューである人がいっていたことがとても印象に残っています。

 

「今の若い方は自己実現だとか自分のやりたいことを探すとかが仕事選びの基準になっているみたいですが、いつからこんな風になってしまったのか。もっと優先すべきことがあるのではないか。」

 

ゆとり世代などと揶揄される世代は、そういう風なしくみをつくった大人がいることも確かです。個人的には理想論(自ら生き抜く力をはぐくむ)を掲げて学ぶべき時に学ぶ機会の圧倒的に少なかった世代だと思います。それでも出会う学生の中には「しっかり生きてきているなあ」と感心する人も珍しくありません。ひとくくりにしてはいけないということです。

 

インタビューで語られた内容は非常に如実に「よくある話」を表していて、膝をうってテレビに耳を傾けました。仕事を選ぶ価値観そのものがどこか変化していて、昭和世代の私たちは、活き活きと自己アピールをする学生にどことなく違和感を感じてしまうのです。しかし、昭和世代よりも仕事運びのスピードや量は圧倒的に発展しているのです。そういった自己武装でもしないとなかなか「太刀打ちできそうな奴だな」と評価されないのも事実と言えば事実。

 

個人的に思うのですが、だからといって人間らしさを失ってしまってはいけないと思うのです。理路整然と物事が動いていくことのどこかには、何か生き物としての大切なものを失っているような・・。面接代行する際には、採用基準をヒアリングします。その際によく聞かれるのが「どんなところが選考で大切な要素ですか?」ということ。私はひたむきさがあるかどうかだと考えています。ルーティンワーク、単純作業、新人ならではの役割、そういったことが”ひたむき”に出来る人。おそらくその先の難易度の高い仕事や、感情が絡むような生き物らしい仕事なんかも乗り越える力があると思っています。四大生であれば、人生の21年間の中で幾度となく遭遇した”機会”をどのように過ぎてきたかをしっかり見極めていくことが大切な選考技術。

 

もちろん先輩である我々もそこから、忘れがちなひたむきさを思い起こして物事に向き合わなくてはいけないと思います。