ゆとり<時代背景の影響

クライアント先や研修の中で、「ゆとり世代とは何か?」のような話をよくさせていただく。象徴的なものとして携帯電話やコンビニエンスストアのもたらす「超便利」を取り上げたりします。知らず知らずのうちに便利を享受し、本来あったはずの我慢や創意工夫の力が便利に相殺されているように思えるからです。これはゆとりと呼ばれる世代に限らずそれ以前の次代を跨いだ世代にも言える事です。

 

世代の違いと言えば先日のドラフト会議。メジャー宣言をしていた花巻東の大谷投手ですが、日ハムの強行指名にも心は揺らがないとのこと。今でこそ日本人メジャー選手はまったく珍しくないものの、彼ら世代にとっては「こどものころからの当たり前の価値観」なのでしょう。かの野茂英雄がドジャースに移籍したのが1995年。大谷選手が94年生まれで憧れの選手が菊池雄星であることを考えれば、何も不思議ではないのです。もちろんドラフトに起因する日本プロ野球界の細かい規約やこれまでの既定路線を考えると異質なのかもしれませんが。

 

便利だけでなく、非常に世界がコンパクトになってる感のある今、誰がどのような根底の価値観を持っているのかを知ることは組織づくりにも非常に大切な事です。一度、手にした便利さや、浸透した価値観を無理やり覆すのではなく、上手に共有しながら共存していくことが結果的に全方向位の利益を生むのではないかと思います。もちろん大変難しい事です。その中で、補完しなければならないことも多いのですから。

 

私はまず“べき”という考え方を一旦辞めていくことから始めていきたいと思います。