【私事】開業10年総括

 

 

 

200918日に創業して来年同日をもって丸10年となります。あっという間というかそれ相応に長かったというか。いずれにしても多くの人の支えあっての10年であったと思います。もともと一度目の転職と違い、選択肢のほとんどない中の独立で、ノープラン、ノー商材、ノービジョンでスタートしました。なぜあんな感じであったのかはもはや思い出せません。なんとかなるかなあ・・という漠然とした思いでした。

 

 

 

何ができるかといえば「営業のしくみづくり及び研修」と「新卒・中途採用の基礎的なノウハウ、人選技術」くらいだったかと思います。その軸は今もあまり変わっていません。もちろん格段に進化はしたと自負していますが。

 

 

 

そんな中、最初から依頼ある客先があるという幸運に恵まれて、ひたすらその課題に向き合う日々でした。スポット研修と採用支援が柱となっていました。これも今考えるととても不安定で、一年後の確約などありもしないお取引の連続でした。しかしながらひとつ終われば次のひとつ・・という具合に、ご紹介やお問い合わせで「ゼロ」になることはありませんでした。長期契約が予告なく終了となったり、やむにやまれず財務上の理由でお取引が終わるところもありましたが、不思議とそのあとにそれ以上の難易度、お取引額の仕事が舞い込んで、過去のお客様を振り返る暇もなく次のお客様の課題解決に切り替えて邁進していたように思います。

 

 

 

経営方針でなかなか外部を入れない企業に長期期間関与してしくみの礎づくりに寄与できたこと、広島まで招聘されてどん底の社長と協働で様々なことに挑戦したこと、行政の長に面接を指導した4年間、倍々ゲームで成長する地元徳島の企業の採用設計をしたこと、明治元年創業の会社の組織根幹に関与させてもらえること、当然どれも大変な責任の重い仕事であることは間違いないのですが、なんと特別な経験をさせてもらえていることか。現在も、スクラップ&ビルドでいよいよ次のステップに進む、実は眼光鋭い社長のところ、競合との戦い、次代に向けたチャレンジに全社一丸で臨む地域密着企業、どんどん深みにはまっていく(難易度が増すという意味で)行政の専門家派遣の仕事。どれも10年前には微塵も想像のつかない「役割と期待」です。

 

 

 

比例と加速でそれらに対応していけるよう独自の学習に、多くの人に会って話してたくさんの「なるほど!」を蓄積していくことも習慣化されてきました。圧倒的に年下が多くなってきましたが、仕事を通じて出会う面々、東京の仲良くしてくれる人々から受ける志についてのあれこれは、40代で得た大きな財産です。

 

 

 

18歳で彷徨うように愛媛にやってきて貧しさを呪い(笑)、22歳で厳しいなどとはとても一言で表せない組織にしがみつき、営業や管理を清濁混じる中死に物狂いで学び、30歳で縁もゆかりもない大分へ渡って知りもしない人々と目標をともにしてひたむきに追いかけ、再度愛媛、そして広島、最後は山口とこの上ない挫折感をもって流れ流れて三たび愛媛に戻ったのは34歳。再就職の厳しさに喘ぎ、運送業界で経験したことのない仕事をゼロから、朦朧としながら身につけ、お金の尊さを再認識し、やっと見つけた止まり木の新天地で、報われない居心地の悪さをバネに飛び出した39歳。それは父親になった歳でもありました。結婚してすぐに無職、子供生まれてすぐに無職。我ながらドラスティックと言えます。

そしてたくさんのお客様、たくさんの協力先、たくさんの助言に助けられて49歳。概ね10年区切りで大きな転機のある私の人生。開業10年目の201918日より遅ればせながら法人成りし「BRING ON合同会社」として新たな挑戦を決意しています。ビジネス、ノンビジネス、関わる方すべてにプラスの存在となれますようこれからも変わらず身の丈で前進していきますのでよろしくお願いいたします。

 

 

 

追伸:家族にもありがとう。