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人の採用は長らく企業の重要なテーマであり今後もそれは変わらないと思う。そして入社した社員を辞めさせないことに着目している定着の考え方が多いように感じるがそれは間違いである。本質的な定着の在り方はその次の「戦力化」フェーズの布石になっていなくてはいけない。単に「組織に居る」だけの人を増やしても仕方ないのである。
そこでポイントとなるのはいかに社員の行動や思考、その結果を観察し感情報酬を与え、フィードバックが本人に浸透するような状況を作り出しているか。人は概ね目をかけてもらうとうれしいもの。組織上位者は配下に公平さを欠かないことを心掛ける一方で、個に対しての特別感を演出することも忘れてはならない。例えば、納期が迫ってやむを得ず残業続きの社員に対しては一段落したところで個別に食事に招いてその仕事ぶりに耳を傾け、ねぎらいの言葉をかけるくらいはしたいもの。採用活動や育成活動などの定量的に測りにくいことを担ってくれている社員には、会議やミーティングではなくちょっとランチにでも誘って現状の頑張りを聞かせてもらい会社として協力できることがないかを尋ねてみることも必要。
つまりは何か会社全体にとっての特筆すべき貢献行動をしている者には、ちゃんと気づくことをしなくてはならないということだ。人は自分は特別だ、上は自分の行動を評価してくれていると感じることの積み重ねが次の行動動機になり、ひいては自己肯定感、会社組織への帰属意識に繋がり、やがて上司になったときにそういう観察眼がついた人材となっていく。仕事がいくらできても感情の機微に疎いものは求心力を得られない。
働き方改革に伴う時短や効率化に感けて自社人材のメンテナンスを行えているかどうか。お金や福利厚生の充実と言った短絡的なことだけではない。なぜなら人間は感情の動物だからである。そんなことまでやるのか?と聞かれることもあるがそんなことまでやらないと安心安全に人は働いてくれない。ハラスメント対策だコンプラ研修だという通り一辺倒、型にはまったものではなく会社組織のコミュニティを小さな町づくりになぞらえて考えてみてはどうだろうか。つまりは住み心地のようなものに焦点をあてるということ。 続
20241219
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働く側の特に若年層へ。日本の社会は高度経済成長の頃から「たくさん仕事をすること」が美徳とされてきました。それは終身雇用を念頭にその組織内で高い評価(対価)を求めて豊かさを追求することが最優先に大事だったからです。働けば働くだけ稼げたのがその時代です。
ところがいつのころからかその法則が崩れてきました。何がそうした原因なのかは複合的で「これ」というものはありません。その原因を分析したところで一般市民には手の施しようがありません。しかしながらそういった社会背景の影響はもろに受けてしまうという事実があります。つまり感覚を情勢に鑑みて変化対応、環境適応しながらコントロールできることに注力しなくてはならないということです。
働き方改革と世の中で叫ばれて久しいのですが、かつての価値観が覆され「ちゃんと休む」ことが推奨されている世の中です。時代の変化の狭間で働き方のコントロールが出来ない場でのさまざまな問題が起きて今後もこの方向性は変わることはないでしょう。「旧」を経験してきた世代は違和感を感じ「新」に生きる世代はこれが当たり前だと認識しているので融合に苦慮している組織も未だ多いと感じます。
私もどちらかというと「旧」の頃に新人でした。電話にファックスに動作の遅いコピー機にというのがオフィスの道具でした。現在はパソコンにWi-Fiに複合機にと圧倒的に「スピード」が上がりました。かつて見習い新人がやるような「雑用」が今は皆無と言えます。つまりはすぐに一人前を求められる。「旧」が理解しにくい「新」の苦悩です。
「旧」は「新」のデジタルスキルを大いに期待しているものの、ふたを開けるとエクセルも満足に打てない。「新」のデジタルスキルはパソコンではなくスマホにあるのです(検索スキルは物凄いので出張同行させればきっと力を発揮するでしょう)。「旧」は自分が出来ないことを求めすぎなのかもしれません・・。しかし勝手に上げたハードルに到達しなかったからと言って負のレッテルを貼ってスタートさせるのは違うのですが、この点はまた改めて。 続
20250116
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