創業17年を迎えて

チームを動かすのはいつも人でありこれからも人、実現、そのためには

 

旧来、採用⇒育成という表現をよく耳にしました。しかし、昭和・平成・令和と時が進むごとにすべての物事で加速は増し複雑化する中で、多様な価値観を持つ人が、集団で同じ目的に向かうには丁寧さが必要と言う気づきの中、“採用~定着”という言葉もそこここで耳にするようになりました。採れるかどうかは採用力かもしれないけれど、苦労して採った人材が短期間で退職になってしまっては意味がない。しかし残ってもらうために忖度を並べるのは違う。定着の後にはもちろん育成がなければいけない。

    採用については採用する側の熱量と活動のオリジナリティが重要。万人に受けるような情報発信では来ない。また既存の媒体や手法に依存する形でも費用対効果は出ない。自社とは一体現代の世においてどのような存在意義を果たしているのか?に焦点をあてるべき。そこにはトライ&エラーや山や谷を経てきたというストーリーが不可欠。またファーストコンタクトにおける自社窓口人選はキモ。次に面接・選考の設計。前者は応募者側に打てる球を供給する役割。後者は募集側に打つべき球を選球する役割。

    定着とは大げさな言い方をすると自社へ国籍変更してもらうくらいの働きかけ成果のこと。どんな国も完ぺきではないのと同じように会社も完ぺきではない。仲間になって共通の目標に向かい大目的を達成していこうということに共感を得られなければ難しくなる。理由や理屈をしっかり理解してもらい、行動に昇華できれば一員として既存との関係性も創り出すことが出来る。個人の幸福感ある思考・行動の集積が会社の成果になることが目指される方向性だと思う。

 

ここまででもなかなかの道のりであると思う。絶対に出来る的なコンサルもどきの甘言も耳にするが絶対などないことだけは断言しておく。外からの力はあくまで補助。本筋は自社にあってどこかに投げることは出来ない。適正な人員を確保し、稼働させていくことは、自社の筋トレを永続的に続けていることと同意なのである。

 

定着の次に来るのは“育成~戦力化”である。

何もできない人物が居心地がいいという理由だけで定着してもらったのでは必ず不公平感が出てきて組織に綻びが出来る。何より余剰人員を抱えられない中小企業においては、個人効率が前時代よりも大事になっている事業パフォーマンスを下げてしまうことにもなる。割り当てられる仕事において生産性に貢献しなくては、「いていただく」意味が無くなってしまう。しかし、自然にフィットし育っていくパターンは少ない。受け入れた企業は「配属」「育成担当」「育成フェーズ」について明確さを持つ必要がある。そして本人が仕事において「目的意識」を持つことである。これは多岐に渡るので会社都合に寄せないことも重要。働く人すべてと向き合い、動機づけをしていかなくては実現しないと思う。

 

戦力化になると更に組織の力量が問われるが、適性を見誤らないということも大事。プレイヤーとして成果をあげていてもマネージャーには向かない人もいる。人に教えるのが得意な人、苦手な人もいる。何にしてもなりたくないものにはなりたくないもの。なりたいような演出や方向付けも平時よりできるかどうか。中小であれば経営者も大きな役割を果たさなければ難しい。歯車に動力を担ってもらうにはそれ相応の努力が要るものである。

 

次に来るのが機能発動である。組織づくりは足し算ではいけない。つまり不足人員を補うばかりでは限界が来るのである。今まで10人でやっていたものを8人でやる、5人でやる。1時間を要したものが30分になる。裁量権の分担で推進スピードを上げる。これらは幹部養成だけではなく、現場リーダーだったり、主任や係長だったり、部門長だったり、はたまた若年であったり、外国籍の社員だったり、延長雇用のシニアに至るまですべての在籍社員が対象になると思う。ひとりひとりにテーマをもって負荷をかけて「強化」していく。土台となる心の分野から業務スキル、まだ導入もしていない未知なる技術にも対応していく積極性も問われていくもの。組織の機能発動は次世代の維持発展を実現していくためには計画的に設計し、AB案でヘッジし、経営者も完全性に挑戦しながら進めていくことで徐々に発出されていく。

 

但し、組織というものはそれ自体が生き物なので、説明がつかないことが起こるもの。例えば問題社員が退職したら次の問題社員が発生する、好調な業績を上げていた部門が突如低迷し出す、絶対に辞めて欲しくない社員が去ってしまう・・など。このようなことでガラガラと崩れてしまう組織は“機能発動”まで至っていないということになる。会社は一定恒常性を保つように出来ている。つまりは新陳代謝によって刷新されて機能するということである。人についてはとかく「採用しなくては」という発想が多いと思うが、既存社員に目を向けて欲しい。往々にして言えるのは「なぜその人にその仕事しかさせていないのか?」という現象。本人も気づかずズルズルとポテンシャルを発揮できないまま年月が過ぎてしまう。個人のキャリアについては会社側がしっかりとチャンスを与えていくことが求められる。大手企業にはフロアを変えての転勤というシステムがある。行った先でまた負荷がかかり安穏とはしていられない環境に置かれる。ところが地方中小となるとそれが叶わない。それどころか部門が隣でもその所属社員が何をしているかも知らないことが多い。

 

大好物でも毎日食べれば飽きる。ほとんどの人にとって、別に大好きでもない仕事においてはなおさらである。経営者はよく考えて欲しい。日々の仕事に本人が負担とならない負荷をかけるしくみをつけなければ「もう自分は完成された」と勘違いする者や、「これをしても評価にはつながらない」という裏表や、後進にはとてもでないが真似してほしくない社員が出現し出すのである。ひと言で言うとマンネリだと思う。一歩、会社を出ると通用しないのだが、本人がそのこともよく知っているのでまず出ない。ただ、学習研鑽しない社員は徐々に衰えて居場所がなくなってしまう。主体性がないのであれば機会をつくる以外に方法はないと思う。

 

一方、機能発動する会社組織を見ていると、利己や損得を厭わずに職務職責に向き合う行動をする社員が出現する。きっかけは様々だと感じるが、多くは「配下に報われる道筋をつくる」ことが動機になっているように思う。もともと私もそうだった。しかし私自身は最後には会社組織にフィットしない人材だったのでそれが正解だとは教えない。ただ、どんな人についていきたいのかを考えると自然にそうなってしまうのではないか。ついてきてもらわないとチーム力は醸成されないし、掛け算的成果を出すことが出来ない。結果的に組織に評価してもらうためには成果を出さなくてはいけないのだが、そこは社員にとってのやりがいと表裏一体だろう。成功体験を重ねればもっと創意工夫してもっと力をつけてやろうと思うのが人間なのである。機能発動の起点になる社員になることは、自分の人生の豊かさに繋がるので俯瞰するとその人が報われていくのである。真摯さはその土台だろう。いつでもどこでも“神”が見ているのだ。見ているからするのではない。見ているから行きつくべきところへ行けるのである。

 

 

創業間もない頃、関与先の会長に「田渕さん、どうやったら儲かると思う?」と問われたことがあります。全然思いつかなかったわけですが、「人の役に立てば儲かるよ」と回答があり、今でも頭の片隅にいつも残っています。一社一社全く違う組織課題に向き合い、いかにその会社の全社最適に寄与できるかをいつも考えて仕事をしています。しかし、自分が体験したことのない業種、職種、職階と対峙した時に経験だけではどうにもならない。そうなると果てしなく自分に負荷かけて対応力や解決力、組織設計力や面談力を挙げていかなければならない。毎日とは言いませんが次回訪問は前回訪問よりも新たなアイデアで向き合わなくてはならない、そう思っています。人の役に立とう、と意識したところでそれは相手の感じ方や評価なのでこちら側でコントロールできない。すべては結果なのだと思っています。長くご契約ただいているお客さまばかりになりましたが、それは一つの評価だと思っています。しかしそれはすべて過ぎたことの評定になるので、次の結果を出していくべく完全とは言えない私のスキルを熱量でカバーしていく、そんな次の一年になれば。

20250108

one

 

人の採用は長らく企業の重要なテーマであり今後もそれは変わらないと思う。そして入社した社員を辞めさせないことに着目している定着の考え方が多いように感じるがそれは間違いである。本質的な定着の在り方はその次の「戦力化」フェーズの布石になっていなくてはいけない。単に「組織に居る」だけの人を増やしても仕方ないのである。

 

そこでポイントとなるのはいかに社員の行動や思考、その結果を観察し感情報酬を与え、フィードバックが本人に浸透するような状況を作り出しているか。人は概ね目をかけてもらうとうれしいもの。組織上位者は配下に公平さを欠かないことを心掛ける一方で、個に対しての特別感を演出することも忘れてはならない。例えば、納期が迫ってやむを得ず残業続きの社員に対しては一段落したところで個別に食事に招いてその仕事ぶりに耳を傾け、ねぎらいの言葉をかけるくらいはしたいもの。採用活動や育成活動などの定量的に測りにくいことを担ってくれている社員には、会議やミーティングではなくちょっとランチにでも誘って現状の頑張りを聞かせてもらい会社として協力できることがないかを尋ねてみることも必要。

 

つまりは何か会社全体にとっての特筆すべき貢献行動をしている者には、ちゃんと気づくことをしなくてはならないということだ。人は自分は特別だ、上は自分の行動を評価してくれていると感じることの積み重ねが次の行動動機になり、ひいては自己肯定感、会社組織への帰属意識に繋がり、やがて上司になったときにそういう観察眼がついた人材となっていく。仕事がいくらできても感情の機微に疎いものは求心力を得られない。

 

 

働き方改革に伴う時短や効率化に感けて自社人材のメンテナンスを行えているかどうか。お金や福利厚生の充実と言った短絡的なことだけではない。なぜなら人間は感情の動物だからである。そんなことまでやるのか?と聞かれることもあるがそんなことまでやらないと安心安全に人は働いてくれない。ハラスメント対策だコンプラ研修だという通り一辺倒、型にはまったものではなく会社組織のコミュニティを小さな町づくりになぞらえて考えてみてはどうだろうか。つまりは住み心地のようなものに焦点をあてるということ。       続

 

20241219


two

 

働く側の特に若年層へ。日本の社会は高度経済成長の頃から「たくさん仕事をすること」が美徳とされてきました。それは終身雇用を念頭にその組織内で高い評価(対価)を求めて豊かさを追求することが最優先に大事だったからです。働けば働くだけ稼げたのがその時代です。

 

ところがいつのころからかその法則が崩れてきました。何がそうした原因なのかは複合的で「これ」というものはありません。その原因を分析したところで一般市民には手の施しようがありません。しかしながらそういった社会背景の影響はもろに受けてしまうという事実があります。つまり感覚を情勢に鑑みて変化対応、環境適応しながらコントロールできることに注力しなくてはならないということです。

 

働き方改革と世の中で叫ばれて久しいのですが、かつての価値観が覆され「ちゃんと休む」ことが推奨されている世の中です。時代の変化の狭間で働き方のコントロールが出来ない場でのさまざまな問題が起きて今後もこの方向性は変わることはないでしょう。「旧」を経験してきた世代は違和感を感じ「新」に生きる世代はこれが当たり前だと認識しているので融合に苦慮している組織も未だ多いと感じます。

 

私もどちらかというと「旧」の頃に新人でした。電話にファックスに動作の遅いコピー機にというのがオフィスの道具でした。現在はパソコンにWi-Fiに複合機にと圧倒的に「スピード」が上がりました。かつて見習い新人がやるような「雑用」が今は皆無と言えます。つまりはすぐに一人前を求められる。「旧」が理解しにくい「新」の苦悩です。

 

 

「旧」は「新」のデジタルスキルを大いに期待しているものの、ふたを開けるとエクセルも満足に打てない。「新」のデジタルスキルはパソコンではなくスマホにあるのです(検索スキルは物凄いので出張同行させればきっと力を発揮するでしょう)。「旧」は自分が出来ないことを求めすぎなのかもしれません・・。しかし勝手に上げたハードルに到達しなかったからと言って負のレッテルを貼ってスタートさせるのは違うのですが、この点はまた改めて。  続

 

20250116


創業17年を迎えて

チームを動かすのはいつも人でありこれからも人、実現、そのためには

 

旧来、採用⇒育成という表現をよく耳にしました。しかし、昭和・平成・令和と時が進むごとにすべての物事で加速は増し複雑化する中で、多様な価値観を持つ人が、集団で同じ目的に向かうには丁寧さが必要と言う気づきの中、“採用~定着”という言葉もそこここで耳にするようになりました。採れるかどうかは採用力かもしれないけれど、苦労して採った人材が短期間で退職になってしまっては意味がない。しかし残ってもらうために忖度を並べるのは違う。定着の後にはもちろん育成がなければいけない。

    採用については採用する側の熱量と活動のオリジナリティが重要。万人に受けるような情報発信では来ない。また既存の媒体や手法に依存する形でも費用対効果は出ない。自社とは一体現代の世においてどのような存在意義を果たしているのか?に焦点をあてるべき。そこにはトライ&エラーや山や谷を経てきたというストーリーが不可欠。またファーストコンタクトにおける自社窓口人選はキモ。次に面接・選考の設計。前者は応募者側に打てる球を供給する役割。後者は募集側に打つべき球を選球する役割。

    定着とは大げさな言い方をすると自社へ国籍変更してもらうくらいの働きかけ成果のこと。どんな国も完ぺきではないのと同じように会社も完ぺきではない。仲間になって共通の目標に向かい大目的を達成していこうということに共感を得られなければ難しくなる。理由や理屈をしっかり理解してもらい、行動に昇華できれば一員として既存との関係性も創り出すことが出来る。個人の幸福感ある思考・行動の集積が会社の成果になることが目指される方向性だと思う。

 

ここまででもなかなかの道のりであると思う。絶対に出来る的なコンサルもどきの甘言も耳にするが絶対などないことだけは断言しておく。外からの力はあくまで補助。本筋は自社にあってどこかに投げることは出来ない。適正な人員を確保し、稼働させていくことは、自社の筋トレを永続的に続けていることと同意なのである。

 

定着の次に来るのは“育成~戦力化”である。

何もできない人物が居心地がいいという理由だけで定着してもらったのでは必ず不公平感が出てきて組織に綻びが出来る。何より余剰人員を抱えられない中小企業においては、個人効率が前時代よりも大事になっている事業パフォーマンスを下げてしまうことにもなる。割り当てられる仕事において生産性に貢献しなくては、「いていただく」意味が無くなってしまう。しかし、自然にフィットし育っていくパターンは少ない。受け入れた企業は「配属」「育成担当」「育成フェーズ」について明確さを持つ必要がある。そして本人が仕事において「目的意識」を持つことである。これは多岐に渡るので会社都合に寄せないことも重要。働く人すべてと向き合い、動機づけをしていかなくては実現しないと思う。

 

戦力化になると更に組織の力量が問われるが、適性を見誤らないということも大事。プレイヤーとして成果をあげていてもマネージャーには向かない人もいる。人に教えるのが得意な人、苦手な人もいる。何にしてもなりたくないものにはなりたくないもの。なりたいような演出や方向付けも平時よりできるかどうか。中小であれば経営者も大きな役割を果たさなければ難しい。歯車に動力を担ってもらうにはそれ相応の努力が要るものである。

 

次に来るのが機能発動である。組織づくりは足し算ではいけない。つまり不足人員を補うばかりでは限界が来るのである。今まで10人でやっていたものを8人でやる、5人でやる。1時間を要したものが30分になる。裁量権の分担で推進スピードを上げる。これらは幹部養成だけではなく、現場リーダーだったり、主任や係長だったり、部門長だったり、はたまた若年であったり、外国籍の社員だったり、延長雇用のシニアに至るまですべての在籍社員が対象になると思う。ひとりひとりにテーマをもって負荷をかけて「強化」していく。土台となる心の分野から業務スキル、まだ導入もしていない未知なる技術にも対応していく積極性も問われていくもの。組織の機能発動は次世代の維持発展を実現していくためには計画的に設計し、AB案でヘッジし、経営者も完全性に挑戦しながら進めていくことで徐々に発出されていく。

 

但し、組織というものはそれ自体が生き物なので、説明がつかないことが起こるもの。例えば問題社員が退職したら次の問題社員が発生する、好調な業績を上げていた部門が突如低迷し出す、絶対に辞めて欲しくない社員が去ってしまう・・など。このようなことでガラガラと崩れてしまう組織は“機能発動”まで至っていないということになる。会社は一定恒常性を保つように出来ている。つまりは新陳代謝によって刷新されて機能するということである。人についてはとかく「採用しなくては」という発想が多いと思うが、既存社員に目を向けて欲しい。往々にして言えるのは「なぜその人にその仕事しかさせていないのか?」という現象。本人も気づかずズルズルとポテンシャルを発揮できないまま年月が過ぎてしまう。個人のキャリアについては会社側がしっかりとチャンスを与えていくことが求められる。大手企業にはフロアを変えての転勤というシステムがある。行った先でまた負荷がかかり安穏とはしていられない環境に置かれる。ところが地方中小となるとそれが叶わない。それどころか部門が隣でもその所属社員が何をしているかも知らないことが多い。

 

大好物でも毎日食べれば飽きる。ほとんどの人にとって、別に大好きでもない仕事においてはなおさらである。経営者はよく考えて欲しい。日々の仕事に本人が負担とならない負荷をかけるしくみをつけなければ「もう自分は完成された」と勘違いする者や、「これをしても評価にはつながらない」という裏表や、後進にはとてもでないが真似してほしくない社員が出現し出すのである。ひと言で言うとマンネリだと思う。一歩、会社を出ると通用しないのだが、本人がそのこともよく知っているのでまず出ない。ただ、学習研鑽しない社員は徐々に衰えて居場所がなくなってしまう。主体性がないのであれば機会をつくる以外に方法はないと思う。

 

一方、機能発動する会社組織を見ていると、利己や損得を厭わずに職務職責に向き合う行動をする社員が出現する。きっかけは様々だと感じるが、多くは「配下に報われる道筋をつくる」ことが動機になっているように思う。もともと私もそうだった。しかし私自身は最後には会社組織にフィットしない人材だったのでそれが正解だとは教えない。ただ、どんな人についていきたいのかを考えると自然にそうなってしまうのではないか。ついてきてもらわないとチーム力は醸成されないし、掛け算的成果を出すことが出来ない。結果的に組織に評価してもらうためには成果を出さなくてはいけないのだが、そこは社員にとってのやりがいと表裏一体だろう。成功体験を重ねればもっと創意工夫してもっと力をつけてやろうと思うのが人間なのである。機能発動の起点になる社員になることは、自分の人生の豊かさに繋がるので俯瞰するとその人が報われていくのである。真摯さはその土台だろう。いつでもどこでも“神”が見ているのだ。見ているからするのではない。見ているから行きつくべきところへ行けるのである。

 

 

創業間もない頃、関与先の会長に「田渕さん、どうやったら儲かると思う?」と問われたことがあります。全然思いつかなかったわけですが、「人の役に立てば儲かるよ」と回答があり、今でも頭の片隅にいつも残っています。一社一社全く違う組織課題に向き合い、いかにその会社の全社最適に寄与できるかをいつも考えて仕事をしています。しかし、自分が体験したことのない業種、職種、職階と対峙した時に経験だけではどうにもならない。そうなると果てしなく自分に負荷かけて対応力や解決力、組織設計力や面談力を挙げていかなければならない。毎日とは言いませんが次回訪問は前回訪問よりも新たなアイデアで向き合わなくてはならない、そう思っています。人の役に立とう、と意識したところでそれは相手の感じ方や評価なのでこちら側でコントロールできない。すべては結果なのだと思っています。長くご契約ただいているお客さまばかりになりましたが、それは一つの評価だと思っています。しかしそれはすべて過ぎたことの評定になるので、次の結果を出していくべく完全とは言えない私のスキルを熱量でカバーしていく、そんな次の一年になれば。

2026年1月8日